はげとうてついわしてたもうれ

一期一会の意味を島弁で言うとこうなります!?)

けいの、ひととの、いきやいよ、とっときに、しょだら、
       のう、いきおうも、なかんのうし、まごう、あろかも、しれんのうが、
    あっでも、しとのよの、つねーて、よもんだんのうわ。  
こいが、さいごの、わかれーて、よことだらーて、
まごころで、つきあっとうことが、しんていなことー、
いっち、あとまで、おもわれろもんだらーて、よだら。


しょめ節(八丈節)


おじゃれ、ごーじやれ、ひんめーれな、やどれ、
そごんどうに、こごんどうにで、かどがたつ

はやひっかすらろう、八丈弁、
そいでも、よけじゃ、ぼうけこえで、うとーりやれ。

(一座建立)

一座て、よんて 茶の湯の、ことだんのーわ、まごう飲み会かの?
けいの、茶の湯の会の、
よけ座だらーて、よ、ことが、
あいらが、とせい、ひっびのくらしん、
しっかり,ためんなろことが、あろんて、
それい、めんなの、主客て、よどーか、
ちゃのゆー、たのしゅんだあろ、ひとらの、
よけおもいでんとか、きもちん、のこそごん、てよ、気持が、
そけい、あろわーて、よ、ことだら。

おもおわよ〜!!なんて優雅な響きでしょう。

意味は?? みじゃ たらがる  じゃんか  はんずめ  しょて〜〜 おったら  いろーで  むげーこと ゆうとう まちろ しょもげなし なんと読むのでしょう? 河口 横間 屋和川 矢崎 赤崎 八木沢 楊梅ケ原 八蔵 九蔵 神止山 神子尾 乙千代ケ浜 八重見ケ原 安政里 何処の事だかの〜? ヨコモ、ヨーゴー、ハッチキゼイ、コームケイ、ヤサリ、エエミガラ。 ナガショガサカ 、ニシャムゲイ、トビガクチ、アケーシヤマ、オオムレ、 ホッタテガホラ、ミズンダシボラ、ツヅキガサカ    おじゃりやれとは、おじゃって下さいと言うことです。 いらっしゃいませと言うことで使われていますが、 来て下さい(いらしてください)というのが本来の意味です。 いらっしゃいませを言うならば (おじゃりやったか、又はおじゃろうか、おじゃろうじゃ、おじゃってたもーた)などです

どけーわその話

ずっとずーっと昔,八丈島は女護が島と言われていた。
ずーっと昔を八丈言葉で言えば(しょてーに、せーんに)という
所手とか先とかが訛ったのでしょうか?
しょてーに、せーんに→以前、ずっと前、昔むかし

子供の数え方(呼び方)ですが(長男、二男、三男、長女、次女、三女)の呼び名。
男子の場合 たろー、じょー さぼー、しよー、ごろー、ろくろー、しっちょー、はっちょー、くろー
女子の場合 にょこ、なか、てご、くす、じいろう、くうろう、あっぱ
(八丈島ははっちょう島とも言われる)

にょことは[長女のこと]女子(にょこと読む)にょこのしま→女護の島→女護が島になったと伝えられている。

ちなみに青ヶ島の事ですが オガ島という。
素人考えでは 男が島がオガ島、おうが島に、やがて青ヶ島になったのではないかと思えてしまう。
 青ヶ島の方々はおうがしまと発音します。(年配の方がたの発音)(ougashima)
 参考・江戸時代オガ島と言われていた。(橘南谿(1752〜1805)著「東西遊記」[1782〜1788の旅行記])

八丈島はなぜ八丈島というのでしょうか?
八丈実記、など先人の残した文書、伝説など色々な説があります。
それぞれに面白く楽しい。
伝説にありますが鎮西八郎為朝の八郎から八郎島と言うようになったとか、
丹那婆伝説[艫抱女子]ろかこみにょこ、から女護が島になったとか

八丈島の八。
嘘八百、八百万、八幡神社、八千代に、八には「たくさん」とか「多い」の意味が有るらしい。
八多化、八嶽、八岳、八丈。
山がたくさんある(三原山―東山―の外輪山。)という意味が、それらしくて楽しく夢があります。
八丈島を上空から見ると、坂上地区は山がたくさんあるように見える。八岳と言うにふさわしい。
大昔の人々は海上から不思議な姿として、又、化け物でも住んでいる島として見えていたのかも知れない。
昼間は緑いっぱいの島、夜になると灯りも無い姿に心ときめき、不安になる。
冒険者としてはどのように感じたのでしょう。
宮家島(御蔵島も)までは波ひとつなくとても静かな海で、黒瀬川に入ったとき、木の葉のような舟では
生きた心地もなかったのでしょう。
宗教とて神道ばかりの時代では祈る言葉も限られていた。
2674年(皇紀)より前から八丈島(伊豆諸島)がある事は分かっていた。
好奇心の強い人々は海の向こうをそして彼方を想像し夢をみて気分を高揚させていたのでしょう。
たとえ火山の光だったとしても神の光明に見えたはずです。

「どけーわそ」の説明をしなくてはならない。
八丈島で生まれて育って、今(2014)この言葉がわかる人はどのくらいいるのでしょう。
先に答えを言うと「どこへ行くの?」「どこへ行くのか?」です。
何故このような事を問うか?
八丈島をふるさとに持っている身として、
古くからの懐かしい文化や言葉よ「どけーわそ」と言いたいからです。

「このしけにどけーわそ?」

「よーつりにいこじゃ」

「あぶなきゃ、よせ!」

「えー、へーきだら、なみのきんのうとこーしょけんて」

「ぶっこててまるぶなよ」

「おーい!あんののー!まるばーば、まるばーで!」

「あいやいやい、めーわくどーじゃ、ほいじゃのー、あばよーい」

日常の会話はこのようなものです。

「どけーおじゃりいたそ?」→どこへお行きになりますか?

「たろーどんねーげーいきいたそが」→太郎殿の家に参りますが!

 

「おじゃりいたそ」はぞんざいに言うと「どけーわそ」となる
 

「いきいたそが」は「いこが」になる


しょめ節に
世界へ踏み出すその踏み石に神が据えたる八丈島〜とあります。
 大げさな事を言うと、人類が地球上に現れてから、
人はホモモビリタスと言われるように地球上を移動し続けてきた。
食料を求めて、未知なる物を求めて、生きるために、子孫を残すために、
大陸から大陸、島から島、大洋から大洋へといろいろな移動手段をつかって、
ものすごい速度で駆け抜けた。
好奇心に溢れた地球上の人々は新しい世界を着実に歩き回った。
その時に意思の伝達手段として言葉も移動したのでしょう。

先日、ある方と話をしていて
「鳥も通わぬ八丈島というから八丈は中央から置き去りにされていたのだろう。」
といわれた。
昔から辺境の地といわれる場所〜世界の事はわかりませんが〜
琉球、東北地方そして八丈島〜(蝦夷と言われた北海道なども)〜
などは日本における辺境の地かもしれません。
人類発祥以来、移動する人たちは〜〜方法は判りませんが、〜〜
地球上の大海を乗り越え、あらゆる大地を踏破した。
地球上のいろいろな所でその痕跡が発見されている。
言葉もその時、所でさまざまに生まれて意思の伝達手段として
変化、進化ですか?してきたのだと思われます。
辺境の地には言葉や文化が置き去りにされて
進化することなく古音のまま残されてきたと思われます。
よく聞いてみると、とても美しい音色と調子がころころ、さらさらと流れて聞こえます。
日本中の方言と言われる言葉は音色こそ違いますが
同じ意味、同じ言い方でたくさん残っていると感じます。

八丈島は東京都心部から真南へ約290キロの海上にあります。 面積は約68.33平方キロあり伊豆諸島では2番目の大きさです。 平成26年は八丈町制60周年でした。 六十二年前までは五ケ村ありました。 その五ケ村にそれぞれ方言があるのです。 アクセントも喋り方もそれぞれ特徴があります。 純粋な島言葉が解る人は少なくなりました。 素人が調べたことなので間違いばかりかと思いますが、お許しください。 アテガリでよいのす。解る所だけでも残しておきましょう。 お気付きの事がありましたらぜひぜひお話を聞かせて頂きたいものです。 この頁は大賀郷地区の言葉が多いかも知れません。 よろしくお願いね!!。(たのみいたそが〜〜い!!) 平成26年12月12日〜14日には絶滅危惧言語方言サミットイン八丈島が 八丈町 町制60週年記念事業で行われました。 奄美、国頭、沖縄、宮古、八重山、予那国、アイヌ そして八丈島。 それぞれの地域皆さん真剣に、そして、たどたどしく方言の現状を話して居られました。 それぞれの地域の皆さん地道に方言、文化を大事にして いこごんのー!?

はげた??? しゅうく???
ここまで読んでいただきました!
ありがとうございます。
あんでも八丈弁じゃなっけとだめどうじゃ!
おかげさまでおじゃりいたす。

のう、あにーか、かこかも、しれんのうし、
はや、げっすりだーば、かきんないかも、しれんのうが
そごんならあば、かんべんしやれよ!
ほいじゃの・・・・・!?

方言
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