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『史記』 蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう) この三紳山は渤海の中に在り。 蓋(けだ)し嘗て至る者有り、 諸々の仙人及び不死の薬、焉(ここ)に在り。 其の物、禽獣尽く白くして、 黄金・白銀もて宮闕(きゅうけつ)と為す。 |
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[史記]の「秦始皇紀」に徐市(じょふつ)[徐福とも]と言う方士 (仙術家)が登場してくる。 秦の始皇帝がその強大な権力に任せて異常なほどに 不老不死の長寿を欲した。 始皇帝二十八年(紀元前219) 始皇帝の天下統一(前221)後 仙人の術を行う方士(仙術を行う人、修験者) 徐市が始皇帝に上進した。 「はるか東方、海中の蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)、 三つの国があり、そこ(日本)に仙人あり、 最高の不老長寿の仙薬(明日葉)をもっている。 私は斎戒して多くの男女の童子を率い、 その土地に赴いて不老回春の霊草を求めに行きたい。」と言った。 始皇帝はこれを真に受け徐市に大金をわたした。 |
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「徐福をして海に入りて仙薬(明日葉)を求めしむ。 多くの珍宝童男童女三千人、五種百工をもたらして行く。 徐福平原大沢を得て、止まりて王となりて来たらず。」とある。 この徐福の伝説が八丈島と結びついた記事が 「伊豆海島風土記」に 孝霊天皇の七十二年(前219)に秦の徐福来朝、 時に皇仙術を好ませ給ひ、東の海上に遊行あり、 爰において徐福をして童の男女千人を引き連れさせ、 海に入れて蓬莱神山不老の薬を求めさせしむるに ......以下略....とあります。 |
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和歌山県新宮市に、徐福の墓がある。 伝説では、五穀の種や農具を積んで同市に漂着した。 舟に乗っていたのは男七人であったという。 この地に残った彼らは薬草や漁業を伝え その子孫は熊野の指導者になった。 なお女たちの乗った舟は八丈島に漂着した。 女護ヶ島というのはここからきたのかも知れません。 |